読んだ

なにもかも小林秀雄に教わった (文春新書)

なにもかも小林秀雄に教わった (文春新書)


木田元という人の本は、もう十年くらい前に『反哲学史』を読んで以来かと思う。ハイデガーってのも小林秀雄ってのもカントもヘーゲルドストエフスキーでさえずいぶんとご無沙汰ではある。全て当時わかったふりをしていたんだったろうか?そのことすら定かではない。覚えていない。わかっているはずはないのだが。

つまり、後期ハイデガーの考えでは、<存在>という視点や、その設定の仕方の変更は、もはや現存在によって企投されたり引き起こされたりするようなものではなく、それ自体の歴史的運命に従って生起し変化するものなのである。いわば現存在どうこうできるものではなく、現存在はそれが生起し変わるのを待つしかないのだ。むしろその存在という視点のおのずからなる設定の歴史、つまり<存在史>によって現存在のそのつどの在り方、つまり人間の歴史の方が規定される、と考えるようになったのである。

現存在って懐かしいな。
ドストエフスキーは4年の朝読んでいたのを思い出す。ずーとドトールで、開店が7時でそっから夕方5時くらいまで、そこにいる。で、かるく飯食って、9時にはねる。で4時に起きる。健康なんだか不健康なんだかという生活。幸福ではあったはず。