読んだ

群像 2009年 08月号 [雑誌]

群像 2009年 08月号 [雑誌]


というか、川上未映子氏の新作を読んだ『ヘヴン』。他は読んでない。amazonでも完売なのは、川上未映子氏を情熱大陸が取り上げてしまったせいか?それとも、もともと今やすごい人気なのか?村上春樹便乗座談会のせいではないと思うが。どこ行っても売り切れてました。おめでとう講談社。マガジンの何分の1の部数? 職場近くの本屋で発見。久しぶりに買ったよ文藝誌。芥川賞の前作とは違って大阪弁文体の、グネウネ感(勝手に命名)は押さえられて書かれている印象。


昔、自主映画のコンテストで豚の屠殺シーンを延々撮ってる映画を見たことがあるのだけれども、なんかそれを思い出した。豚が次々に殺されて吊るされて流れていくさまはなかなかのものですが、それで僕らはおいしくトンカツ頂いています。おいしいよねトンカツ。それで、かわいいネコを全面的に微笑んで撫でまくったりします。そこに矛盾は無い。残念ながら嬉しいことに。

なあ、世界はさ、なんて言うのかな、いっこじゃないんだよ。みんながおなじように理解できるような、そんな都合のいいひとつの世界なんて、どこにもないんだよ。そういうふうに見えるときもあるけれど、それはただそんなふうに見えるというだけのことだ。みんな決定的に違う世界に生きてるんだよ。最初から最後まで。P.98

いじめっ子側のインテリ君の発言が結構な長さで披瀝される部分はいい部分でした。いいというのは、もちろん気分がいいというのとは違いますが。


主観とか客観とか、ちなみに小林秀雄は客観をカッカンと読んでましたが、どうでもいいかな。いいに決まってたんだけれど、改めてどうでもいいかな。つまり言葉がさ、安易に使われやすい代表みたいなさ。

「最後まで、可哀想だって思いつづけなかったことよ」
そう言い残すとコジマは階段を降りていった。P.114

それは悲しみのせいで流れた涙ではなかった。それはたぶん、こうして僕たちはいく場所もなく、僕たちがこのようにしてひとつの世界を生きることしかできないということにたいする涙だった。ここ以外に僕たちに選べる世界なんてどこにもなかったという事実にたいする涙だった。P.132

彼はいじめっ子を殺したりはしないようだ。彼はいじめっ子をなぐったりはしないようだ。彼は、美しさを、感じたようだ。


ワタクシの推測の域。