読んだ

クラウドの象徴 セールスフォース

クラウドの象徴 セールスフォース


帯文はこんな感じ

Amazon、Googleと提携し、マイクロソフトに挑戦するトップランナー企業の正体


知ってると知らないの違いはでかくて、あたりまえ。分かろうと試みて、さらにその後できちんと検討し、とか、とにかく勉強なんだすべては。まずは知り、というか、知ろうとし、やってみること。

それに対し、甲府市は、他の20万人都市に比べ明らかに安い。文京区、熊谷市と比較して3分の1、渋谷区に比べて2分の1以下のコストで構築できた計算になる。港区との比較では、13倍ものコスト差だ。

上は、定額給付金のシステムに関するコスト差の資料を引用しているのですが、ま、単純に人口だけでどうこう結論づけられる部分ばかりではないでしょうが、利権とか世間とかなんか知らないけどあるんですわとか諸々ありましょうがね。知らないよ僕は詳しいことは。でも税金つかってるわけだからね。知らない知ろうとしないってのはこわいね。


話は違いますが、いまだにATMに並んでるひといますね。なんで?すごい時間の無駄でしょう。知らないって怖いねー。さらに手数料までとられて、時間を無駄にする。振込もATMでやってたりとか。何で? そんなに知ることって面倒ですかね。おそろしい。税金は自分の金ではないのでよく考えて使ってください。ちゃんと払いましょう。年金もらえないから払わないとかって論理は最低です。義務です決まってます、あなたが決めたことになってるんです。払った上で、制度を変えてください。どうにもならないじゃ済みません。


アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか

アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか


著者は佐藤俊樹氏のインターネット登場前に米国では自律、分散、協調的で個人主義的な社会が先に存在していて、その土台でのインターネット技術なのであるからして、「技術が社会を変える」のではなく「社会が技術を変える」と言う論の説得性を受け、以下のように書く。

だとするならば、少なくとも日本社会に、インターネットという通信技術やブログのようなソーシャルウェアを「移植」することで、ただちに日本社会のあり方が米国社会のようなものに突如として変わるということはありえない。

日本に自生するソーシャルウェアが、どれだけ「中途半端」で「ガラパゴス」なものに見えたとしても、私たちはそこから次の進化のパスを見いだしていくしかないのです。


でありながら、「技術決定論がおかしければ、社会決定論もおかしい」ということのようで、本書を通じて展開される「社会と技術は密接に連動する形で変容していく」という部分を強調している。


以下のような具体例

ニコニコ動画であれば、「祭り」には必ず「後の祭り」状態が訪れてしまうという不可避の問題を、「疑似同期型アーキテクチャ」によって「いつでも祭り」の状態を生み出すことで解消する。

こうして社会と技術は密接に絡み合いフィードバックループ的に存在しているということ。なるほどなと思ったよ。

ここで筆者が提案しているのは、「生態系」の認識モデルの適用先を 〜略〜 

でどうなるだろう?


話は変わります!「結局自己愛ですからね」「いい悪いの話じゃないんですよ」「あなたのために死ねる」って言うのは、あなたが死んだら悲しい自分が残るから、嫌だ。だったら死ぬってことですからね。「くれぐれも!いい悪いってことじゃないですよ」分からなくなってくる。