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情熱プログラマー ソフトウェア開発者の幸せな生き方

情熱プログラマー ソフトウェア開発者の幸せな生き方

他人のコードを通して自分の力を思い知れ


問題の解決方法を探ることよりもっと重要なのは、既存のコードを自分のスタイルや能力を見直す虫眼鏡として利用することだ。コルトレーンのレコードを聴いていると、僕はいつも自分のサックスプレーヤーとしてのレベルを思い知らされる。偉大なソフトウェア開発者のコードを読んでいても、やはり劣等感を覚える。とはいっても劣等感を覚えるだけではない。他人のコードを読んでいると、これまで自分が一度もやったことがないし考えてもみなかったことを見つける場合がある。なぜ? 開発者は何を考えてたんだ? 動機は何? たとえ不出来なコードでも、批評的かつ自省的な目で分析していけば学べることがある。

これはとても大事で素晴らしいことだ。そして今や素晴らしいコードはかんたんにチェックアウトできる。もう一度書くが同じような文言を書いてしまうが、これは大変素晴らしいことだ。


この記述の「コルトレーンのレコードを聴いていると」を自身のこととして変えてみればいい「小津の構図を眺めていると」でも、「イチローの打撃を見ていると」でも「マイケルジョーダンの飛行を見ていると」でも「マルケスの小説を読んでいると」でも「稲盛氏の経営を知ってみると」でも、なんだっていい。


学ぶベキはもちろん学生だけじゃない。勉強しろといいながら勉強しない親を子供は見ている。僕は見ていた。学ぶということは一生続く。


この間リンクしといた角田氏の楽天での講演のなかで紹介されていた「プログラムできない人間が偉そうにシステムエンジニアとかやってる会社は早晩滅びる」とかって言葉は、絶対に真実になるべき言葉だ。今はなんとなくそうではなくて持ちこたえていられる会社もきっとなる。滅びよ。バイバイさようなら。