読んだ

伊集院光という人のすごさとは何なんだろうと考える。ニッポン放送のラジオを私は聞いていなかった。知らなかったのではなく。知っていたが聞いていなかった。当時の私はTBSのコサキンをひたすら聞いていた。面白いと思ったから。そのラジオの中にいた関根勤という人がとにかく面白かったからだ。


1997年か98年コサキンは水曜のAM1時からの放送になっていたと思う。私は大学生になりそれほど熱心にラジオを聞くことも無くなっていたように思う。コサキンも聞くときは聞くしといったスタンスで聞いていたような気がする。その時初めて聞いたのが、TBSラジオAM1時からの伊集院光深夜の馬鹿力であった。衝撃。今でも月曜1時は衝撃。みなさん聞いたほうがいいですよ。人生の損失ですよ。コサキンは無くなってしまったけれど。


そんで、「のはなし」は、「いち」は文庫で、「さん」は先日発売されたものを買って読んだ。今回はおくればせながら「に」を拝読した。

のはなし にぶんのいち~イヌの巻~ (宝島社文庫 C い 6-1)

のはなし にぶんのいち~イヌの巻~ (宝島社文庫 C い 6-1)


のはなし にぶんのいち~キジの巻~ (宝島社文庫 C い 6-2)

のはなし にぶんのいち~キジの巻~ (宝島社文庫 C い 6-2)


のはなしさん

のはなしさん


のはなしに

のはなしに


印象に残った話「変な子供の話」より
子役タレントが笑顔満面できちんと挨拶するのが気持ちが悪いという話。

「将来の夢」とか聞くとキチンと「女優になりたいです」とかいう。こっちがそんなことをきかれたら「まだよくわかりませーん」だ。友人の5歳の子供は「岐阜になりたい」といった。理由は「おばあちゃんが住んでるから」だ。こっちのほうが良い。勿論そんなに気持ち悪くない子役もいる。「岐阜になる」ほどの野望は持っていないが「女優かケーキ」といったりする。「女優になりたい」というお約束はマスターしたが「洋菓子になる」も捨てきれてない子だ。


ここで、親が「違うでしょ」とか言ったりすると書いている。まったくだ。なぜ「ケーキ」を諦めなければならないんだ。ケーキのほうが余程難易度は高い。そんな冒険に飛び込もうとする子供の心意気をふみにじってなんの人の親であろうか?ばかばかしい。そして、この文章はほんとうにすばらしい。


内山君はこの二つを両立させてしまったところがすごいといった話にもなるのだが、それもまたよい。


先日、私がドトールコーヒーにいると2人の女性が自身の子供の小学校受験の話をしていた。どうやらその受験では、絵を見せられてその絵をもとに自分で物語を構成するという課題があるらしいのだが、その母親曰く、うちの子は全くだめでと言って話した話は、とっても面白かったのだが、それではだめで、解答があるらしいのだ。だったら、暗記問題とかやらせておけばいいだろう。


おそらく「岐阜になりたい」と言った子も合格できない。でもきっとそれが本当の合格だと分かる時が来る。分からない大人は「キチンと挨拶ができてしまった子供」で「岐阜になりたい」と言える子は分かる大人になれる。お互いを永遠に理解し合えないかも知れないけれど。


さよならビリーザキッドをテーマ曲に使ったコーナーがあったな。